教育格差問題があります。
なぜ、国民がみんな平等に学べる義務教育制度があるのに、こうなってしまうのか。
数年前、「母親の学歴が子どもの学力に関連する」という衝撃のデータが発表されました。一つの理由として、高学歴であることによる教育に対する高い価値観と、給料の良い仕事に就けるために家庭の所得が十分であることから、子どもの頃から十分な文化資本が与えられ、学力向上に繋がるのだそうです。
ブルデューは、学校で学ぶべきとされている事項は、子どもの頃の文化資本との親和性が高く、そのため十分な文化資本を得られない層の子どもは、学校教育では取り残されてしまうとしています。かの有名なコールマンレポートでは、学業成績は、学校教育ではなく、生まれた家庭や地域、人種によって規定されると結論付けています。
また、90年代の日本型の新自由主義への転換によって、「小さな政府」が目指され、より自己責任的なイデオロギーが唱えられました。非正規雇用が増え、いわゆるワーキングプアが増加。格差が広まりました。「格差社会」は2006年の流行語です。
教育に投資できる家庭とそうでない家庭の差が拡がっているのです。
何百ページもある本を、石坂が数百文字でまとめるとこうなります。
めちゃくちゃ偉そうに言いますが、つまり、知識詰め込み型の教育を施していた日本の教育は格差を拡げることに加担していたのですね。
じゃあどうしたら良いのか。
やっぱり、仲間とのつながりですね。
その子の家庭や生い立ちは変えられないけど、困った時助け合える仲間を与えることができます。学校の勉強ができなくても、人との繋がりがあれば生きていけますね。
ここでさらなる深い提言や提起ができないところに未熟さを感じざるを得ません。
「書を読む」という院生としての最低限の営みを久々に行ったので、忘れないように書いておきます。